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広島の日本酒を特徴づける軟水から酒を作る「軟水醸造法」。硬水と軟水の比較からわかる味の違い

広島の酒

[投稿日]2020年08月21日 / [最終更新日]2021/03/22

広島の酒を特徴づける醸造法が、三浦仙三郎(1847~1908年)によって生み出された「軟水醸造法」です。仙三郎は水質によって酒の味が異なることを知り、広島の軟水に合った独自の手法を開発したのです。

酒づくりに欠かせない水

日本酒の85%が水。酒づくりに水は欠かせません。酒づくりにおいて水は、「醸造用水」と「びん詰用水」に区分されます。

酒造用水 醸造用水 洗米用水 白米の表面についている糠(ぬか)を洗い流す
浸漬用水 白米を水に浸し、米粒の内部に水を吸わせる
仕込用水 仕込み水によって麹、酵母、蒸米が日本酒になる
雑用水 器具や蔵内の洗浄用水、ボイラー用水など
瓶詰め用水 洗びん用水 日本酒を詰めるびんを洗浄する
割水用水 日本酒の出荷前にアルコール分を市販規格に調整する
雑用水 洗浄用水、ボイラー用水など

仕込み水によって、麹(こうじ)から酵素や他の成分が溶け出し、蒸米(じょうまい)のデンプン、タンパク質の酵素による分解が助けられ、蒸米からミネラルやビタミンを溶出して、最終的に酵母の増殖や発酵が順調に進みます。
仕込み水のほかに、仕込み桶やタンク、びん、器具、蔵内の洗浄、ボイラー用水などにも水を使用します。白米1トンから日本酒を作るには、その20~30倍(20~30トン)の水が必要と言われます。銘醸地になる条件のひとつは、酒づくりに適した水があることです。豊富な水源を確保する必要があるため、水が豊富な地に酒蔵があるというわけです。

水には硬水と軟水がある

水質を表す指標のひとつが「硬度」。水に含まれるカルシウムとマグネシウムの量を表す数値で、硬度の高い水が「硬水」、低い水が「軟水」です。一般に、石灰岩の多い地域では硬水に、花崗岩(かこうがん)や片麻岩(へんまがん)、玄武岩(げんぶがん)の多い地域では軟水となります。
日本の水はヨーロッパに比べて硬度が低く、軟水が多いです。火山灰土壌が多く、川の流れが急で河川も短い日本では、水に溶けるカルシウムなどの成分が少なく、地下水の硬度も一般に低くなります。
一方、ヨーロッパの地下水や河川水は、石灰質の豊富な地層に時間をかけて流れてきます。そのため、カルシウムやマグネシウムなどのミネラル成分が水に溶け込み、硬水になります。
水の硬度にはアメリカ硬度とドイツ硬度があり、酒造分野では伝統的にドイツ硬度を用いています。
<水の硬度の分類>

0〜3 軟水
3〜6 中等度の軟水
6〜8 軽度の硬水
8〜14 中等度の硬水
14〜19 硬水
20以上 強度の硬水

その土地の水質は、醸し出される日本酒の性質に影響します。酒づくりに有効な成分として、カリウム、リン酸、マグネシウムが挙げられます。これら有効成分が少ない水を「弱い水」、有効成分が多い水を「強い水」と言います。
強い水で日本酒を仕込むと、麹や醪(もろみ)の品温が上昇しやすく、蒸米が溶けやすくなります。低温でもよく発酵し、やや辛口の酒質になる傾向があります。
弱い水はその逆で、仕込みに使うと麹の増殖が遅れ、品温が上昇しない。蒸米の溶け方が鈍く、酒母も酵母の増殖が遅く、発酵が弱まる傾向にあります。

酒づくりに適した灘の宮水に対し、“難あり”だった広島の軟水

江戸時代後期(1840年頃)に発見され、酒造用の名水として全国に知られる灘の宮水(みやみず)。宮水は、兵庫県南東部にある六甲山系を水源とする伏流水を指します。本来、「西宮の水」のことでしたが、それが縮まって宮水と呼ばれるようになりました。
強い水の代表格が宮水で、その硬度は6前後。酵母の増殖、発酵に有効なカリウムやリンが多いため、醪の発酵を促進します。それにより、腐造(造りの失敗)しにくいので安心な酒づくりができます。
強い水でつくる日本酒は、ピンのある引き締まった味が特長です。辛口で男性的な酒質形成の灘の酒が「男酒」と呼ばれる所以です。
一方、広島の水は、大部分の酒蔵の井戸水が軟水。いわゆる弱い水です。江戸時代から酒蔵がある三原、竹原,西条などの地域はやや「強い水」で、発酵が促進されお酒がつくりやすい硬度のやや高い中等度の軟水でしたが、広島の多くの地域ではほとんどが硬度3以下の軟水でした。
かつて、軟水では酵母に勢いがつかず働きが悪いことから、お酒はつくれても発酵が不十分で品質が良くなかったり、腐造などのトラブルが多く、安定した醸造ができなかったりして、酒づくりが難しいとされていました。

軟水のハンデを克服するために開発された軟水醸造法

先述の軟水の弱点を逆手に取り、広島のお酒の個性として、灘とは違う酒をつくり上げたのが三津村(現在の東広島市安芸津町三津)の酒造家、三浦仙三郎です。
仙三郎は明治9(1876)年に酒造業を始めたものの腐造や火落ち(蔵で貯蔵中の酒が急激に腐敗すること)が続き、落胆しながらも原因を追究しました。酒蔵を新築したり、灘の酒造家を訪ねて自ら蔵人となって酒造法を学んだり、自分のやり方に従う杜氏を雇い直したり、とあらゆる手を尽くします。やがて、灘と広島の水の違いに気づき、水質が違うのに灘の醸造法に倣い酒づくりをしていたことが、失敗の原因であることにたどり着きます。
酒づくりに硬水が適しているのは、ミネラル分が酵母の栄養となり、酵母の発酵が活発になるからです。切れ味の良い辛口の酒が出来上がります。 しかし、硬水や中硬度水は、発酵が早く終わってしまい、淡麗さやすっきり感、香りが出せません。
一方、軟水は硬水に比べて発酵が進みにくいですが、それを逆手にとると、長期発酵に持ち込むことができます。何もしなくても発酵が活発な硬水の仕込みには、酵母も若いものを使いますが、軟水で仕込む場合は発酵の前段階で十分な準備が必要です。
また、軟水醸造法では、まず麹をしっかり育てます。麹をしっかり育て、米の内部にまで十分に麹がいきわたるようにすることで米の糖化が進み、次のステップである発酵が活発になるからです。しっかりつくった麹により、香りが高く濃醇な味わいのお酒が出来上がります。
そうして軟水でつくるお酒は、まろやかで繊細な味です。灘の男酒に対し、広島は女酒と言われるのはそのためです。ふくよかでキメの細かい広島の酒はこうして誕生したのです。しかし、現在は水質に関係なく、技術で男酒、女酒をつくり分けることができるようになっています。
仙三郎は、軟水に適した酒づくりの実験を繰り返し、それまでの勘に頼る酒づくりから、実測した数値による科学的な酒づくりを進めました。明治26(1893)年には、寒暖計を使った麹、酒母(もと)、醪の温度管理、明治27(1894)年からは換気を工夫するために麹室を改築しました。そして、明治30(1978)年ごろに軟水醸造法を確立します。軟水で仕込んでも腐らず、品質の高い酒の醸造に成功するまで、実に20年以上の歳月を費やし、醸造法の改良を続けたのです。

全国一の評判を得た広島のお酒

仙三郎の功績は、軟水醸造法の開発だけではありません。仙三郎は、苦心して開発した軟水醸造法の成果を広く公開しました。明治31(1898)年には、軟水醸造法を「改醸法実践録」という本として出版し、地元の三津だけでなく広島の酒蔵組合員に配布しました。その結果、明治39(1906)年ごろには軟水醸造法は広島県内に普及し、腐造が減り、品質も改良されて、軟水でも安心して醸造できるようになったのです。
明治40(1907)年に醸造協会主催で開催された全国初の清酒品評会では、竹原の藤井酒造の「龍勢」と倉橋の林酒造の「三谷春」が、優等 1 等,優等 2 等を独占。広島のお酒が灘や伏見をおさえて最高賞を獲得し、全国にその名を知らしめたのです。そして、その翌年の明治41(1908)年、仙三郎は61歳でこの世を去ります。
その後、仙三郎が開発した軟水醸造法を身に付けた三津杜氏は、全国ばかりか、海外でも酒造に活躍しました。大正時代に入ると、三津杜氏は、軟水醸造法という画期的な技術の保持者として全国から招かれ、伏見ばかりでなく、四国、九州、静岡、長野、関東、さらにはサハリンやハワイまで酒づくりに出かけました。
大正10(1921)年には仙三郎の功績をたたえ、菩提寺に銅像が建立されました。※平成2年に榊山八幡神社(広島県東広島市安芸津町三津)に再建
最後に、仙三郎は下記の言葉を残しています。
百回試して、千回改める──「百試千改」
仙三郎の酒への情熱がいかほどだったかを表しています。

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